新聞配達人の時々日記: 心ここに在らざれば 視れども見えず、聴けども聞えず。「大学」  

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2013年12月31日火曜日

心ここに在らざれば 視れども見えず、聴けども聞えず。「大学」

既に何度も書いて来た事であるが、新聞配達に於いては、「不配」、「誤入」、「飛ばし」などのミスについて、それ等が起きた原因、メカニズムなどの説明がつく場合が大多数である。

ごく少数のケースについては、「何故そんなことをしたのか?」、理解が及ばないことがある。

タイトルの、中国の古典「大学」の中の言葉は、五官の働きは、心が正しく働いて初めてその用をなすことを説いたものである。

即ち、上に挙げたミスは、心がその場にいなかった時の結果であると言えるだろう。

中国語で、「心不在焉」、日本語には、「心空なり」という形容動詞がある。順を逆にした「空なる心」を強調した表現として「うわの空なる心」としても使われた。のちに、「心」を除いて単独で「うわの空」ともいわれ、既に平安時代から使われていた(語源由来辞典)というから、日本語の、この表現も誠に古い。

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