新聞配達人の時々日記: 6月 2014  

ラベル

2014年6月29日日曜日

ザックジャパンの、決勝トーナメント前での敗退は、FIFAランキング通り!

2014年ワールドカップの予選での全日程が終了し、私も含めて、日本国民の大方の期待に反し、タイトルの結果となった。

日本のマスコミでは声高に報道されなかったが、この結果は、実は、毎月FIFAが公表している、C組の4か国のFIFAランキングとおりである。

上から行けば、コロンビアが8位、ギリシャ12位、コートジボアール23位、日本が46位である。

テレビは、昼食時と夕食時しか見ない私であるが、この2週間のテレビのフィーバー振りには、驚かされていた。

6月13日から27日までに、日本で放映された試合は、なんと35試合に上り、NHKが断トツの19試合、フジが5試合、東京、日本、TBS、朝日が仲良く3試合ずつであった。(1試合のみ2局同時放映有り)

あるソースによると、放映料は総額400億円に上ると噂されており、各局はこの投資を、視聴率の形で回収する必要があり、日本代表の決勝トーナメント入りの可能性をあおりたてたものといわれている。

2014年6月27日金曜日

目眩まし(めくらまし)

数か月前、帰宅した時、タイトルの言葉だけが単独で、記憶にあり、その背景・ストーリが全く頭に残っていないという真に奇妙なことがあった。

数日前、目眩ましという言葉を、思い浮かべる出来事に遭遇した。それは、通常あるべきでないものが、ひとつの場所にある時、それに気を取られて直近のターゲットを飛ばして、危うく、その次へ向かい掛けた時のことである。

この種のものを、勝手に「集中阻害要因」、即ち、目眩ましとでも名付けると、その内容を的確に表現していると言える。

もうひとつ例を挙げると、路地から大通りに出て左折するルートの場合に、右手から車のライトが閃くとする。その瞬間、それに気を取られて、左折してから、通りの向こうにあるターゲットを飛ばして、そのまま直進してしまうことである。

忍術、手品、奇術などにおいては、明確な意図をもって。術者が、敵方乃至は観客をたぶらかすために使うものである。

私の場合は、完全な独り相撲で、勝手にこう名付けているだけだ。

2014年6月25日水曜日

LinuxMintの無線LAN接続不能は、USBポートの雷被害のせいだった。

2か月前、ウェブでの情報収集では、Linuxでの無線LAN接続の成功事例が報告されていた。

一方、ウェブ報告に載っていたのと同等の機種の無線LAN子機を購入し、接続しようとしたが、添付のCDソフトウェアのOSが違うのでインストールできず、接続まで到らず。メーカーのサポートへ問い合わせたら、Linuxには対応していないとのことで、諦めていた。

それまで経験がなかった無線LANだが、先月の息子夫婦の滞在中、この接続に接する機会が増え、自分でも、譲り受けたiPadを自宅外での操作に恐る恐る踏み切ったりした。

「500円でわかるWI-FI」という本も買ってきて読み、満腔の自信をもってトライしたところ、パソコン前面のUSBポ-トの左側が、不通であることを発見! 去年の雷騒ぎの最後の被害であった模様。

これで、中断していた、「LinuxMint と Win7 とで、ネットワーク構築」というプロジェクトを再開できることになった。

2か月前の、「プロジェクト」については、その時の記事をご覧ください。

新生児のLinuxMint機を、Win7機とのネットワークに組み込む

2014年6月23日月曜日

私が3年以上実行している完全な朝食抜きは、今はやりの、プチ断食でもある。

朝食抜き、ミニ断食、プチ断食とか、果ては、短期断食とか、ダイエット、免疫力賦活などを主たる目的とする食事療法は、色んなバリエーションがあるが、いまだに主力は、「3食キッチリ取るべし。」であるように見える。

就学児童への指導も、これで統一されているようである。

一方、私の朝食抜きの起源は、10年近く前、建築・土木業界での下働きを始めた頃に遡る。

この業界は、ご存知の如く、デスクワークに比べて、仕事始めが早い。又、現場が遠い時には、そこへ到達する時間も、見ておかねばならない。

結果として、朝早く家を出発せねばならぬのが普通である。

必然的に、すするだけで1分もかからぬ、バナナを潰してヨーグルトを掛けただけのお椀一杯だけの朝食に行きついた。

その後程なくして、朝食抜きが自然に適っているとの説に賛同し、それも全廃して現在に至る。

平成23年4月、新聞配達を始めたところ、朝2時半の起床が求められたので、前日の夕食は、19時半までに終える様にしている。従って、断食時間は15時間となり、十分、ミニ断食でもプチ断食とでも称する事が出来るようになった次第だ。

2014年6月21日土曜日

マイブログの全投稿を、10種類のラベル(カテゴリ)分けに成功する。

大分前から、投稿記事数が200本を超えたので、整理又は分類することの必要を感じていた。幾つかのサイトで、Bloggerラベルの作成方法の説明があったので、それに挑戦した。何と5日間要したが、まだ完璧とは行かず。

各投稿の一番下の行に、ラベルが表示されており、そのラベルをクリックすると、該当する投稿がすべて呼び出される。これは、オウケイ!

又、ブログタイトルの下の行に、10種類のラベル(カテゴリ)が、投稿数の多い順序に並んでおり、ひとつのラベルをクリックすると、該当する投稿がすべて呼び出されてくる筈であった。

「新聞配達(40)」 「コトバ(32)」 「脳の働き(29)」 「IT(28)」
「その他(26)」 「カラダ(22)」 「ブログ(16)」 「動物(16)」
「四季(14)」 「ショッピング(3)」

しかし、タイトルの下の、ラベル:「動物」と「四季」の2つだけは、設定のミスか、クリックしても反応しない。即ち、該当する投稿が呼び出されてこない。

今後、お分かりになる方のご指導で、修正できればと期待しております。

2014年6月18日水曜日

一昨日、昨日の、カエルの「雨乞い」が奏功して、今朝は朝から雨である。

普通、防御の固いことを、「水も漏らさぬ鉄壁の防御」等というが、雨の日の新聞配達は、それとは逆に、雨一滴も侵入させぬ完璧の備えが必要となる。

梅雨時の雨は、真夏の夕立とは違い、まだまだ冷たいので、衣服が濡れると急速に体温が奪われ、カラダの不具合を起こしやすい。

ハイテク素材を使った合羽を着て、カラダへの雨滴の侵入を防ぐ方法については、以前の投稿をご覧乞う。

http://yassu69.blogspot.jp/2014/03/blog-post_29.html

2014年6月17日火曜日

今朝も、カエルの「雨乞い」合唱!

昨日の配達、アパート団地内で、カエルの大合唱に出会う!団地内の排水溝に住みついて、気象庁の梅雨入り宣言後、2週間以上本格的梅雨にならぬので、業を煮やして連中が相談して、「雨乞い」を始めたと考えていた。

ところが、今朝は、昨日の印象と大分違う。即ち、団地に入って直ぐ合唱が始まったのでなく、4,5棟目で、初めてカエルが鳴いているのに気付いた。

従って、下水道でうたっているのでなく、道を隔てたアパートの東側の、田植えが終わった田圃で合唱している事に気付いた。

良く考えてみると、ここ2日間の合唱は、天(即ち雨の神様)に届けといわんばかりの迫力であり、とても、下水道での祈りという類のものではなかった。

2014年6月14日土曜日

継続は力なり

誰が言った言葉か思い出せぬ(*)が、心ならずも配達を丸1週間休んで、この言葉を噛みしめている所である。

アパート団地での、階段の2段上がりも、毎日やっていると当たり前と思ってしまいがちだが、一週間休んでいて、これをやると当たり前ではないことが良く分かる。

配達再開してから、本日で実働7日(途中休刊日が1日あった)だが、まだまだ病気前に完全に復調したとは言えない状況である。

言い換えると、休んだ日数と同じだけ働いても、元の状態に戻れないと言うことで、6か月、1年、そして3年と、休まず続けて来た継続の重みを実感している所。

(*)親鸞を師と仰ぐ宗教家 住岡夜晃(すみおかやこう)の法話の中の言葉の一部であると、検索の結果で初めて知った。完全なものは、「念願は人格を決定す。継続は力なり。」とのことである。

一方、筋トレは、復活の緒についたばかり。

2014年6月13日金曜日

バイクの運転は、操作順序が、イノチ !

上り坂の途中でバイクを止め、道路の右側のターゲットに新聞を投入して、ギアを二速に入れたまま、エンジンかけっぱなしのバイクに戻り、スタートする時のこと。

先ず傾いているハンドルを垂直に立て直すと同時にアクセルを吹かす。下り坂であるのでスタンドを外すと、車は後方へ戻ろうとするので、それを防ぐため、エンジンを吹かすことにより前方への推力を効かせる。

間を置かず、スタンドを外して、ユーターンをすると同時に、今度は下り坂を下りる。

活字にすると数行となるが、計ったことはないが、上の操作を多分2秒以内に完了すると推測する。

上の複数の操作のいくつかの順序を間違えると、バイクが後戻りしたり、前方へ飛び出し過ぎ、ターンが出来ぬことになる。

バイクの乗り始めは、この上り坂での発信、ターンが大変苦手で、数回転倒し、新聞を辺りに撒き散らし大変な騒動となったものである。

正確な操作を、正しい順序で実施することが肝要である。

2014年6月11日水曜日

今回の急性胃腸炎の思わざる功用

5月末発症し、6月5日、かかりつけの内科医の診断で、ある程度の回復を認められ、普通食へ戻ったが、カラダの消耗は完治というにはまだ遠い状況であった。

緊急入院直後から、抗生物質の点滴を受け、退院してからも抗生物質の投与を7日まで受けていた。

入院中から、便の強烈な臭さに閉口していたが、抗生物質の服用中止から、丸3日経った後の、10日早朝大量の便が出たが、これは発症前の通常便と同じく、余り腐敗臭はしなかった。

結局、抗生物質中止によって、毎日リセットされていた腸内菌叢が、丸3日で本来の状態に戻ったと言えるのではないか。

私の抗生物質の服用は、何時が最後か、憶えぬほど昔のことであるが、その服用により、腸内細菌が壊滅状態となり、その後悪玉菌が爆発的に増殖すると言われていた事を、確認するという期待せざる功用もあったことになる。

2014年6月9日月曜日

米西海岸へ戻った息子から、滞日中の写真の1部を 「iCloud」 にアップしたとのメール到着。


iPad及びパソコンでチェックしてみると、5月16日、18日 及び 23日付けの3ロットであり、写真合計 700枚近く、動画も10本ほど入っている。

本体は今話題のクラウド上に置いてあり、ローカルマシンへの容量上の負担がないのが有難い。

マイブログへの写真挿入、スライドショー設置を思い立っていなければ、今回の、写真のクラウドへのアップに対して、おたおたする所であった。

写真は、宮崎県北部高千穂の高千穂神社の駐車場にあった石像である。「天岩戸」のトビラを頭上に差し上げているのは、アマノタヂカラオ(天手力男神)で、その右下で、息子がふざけている。

2014年6月7日土曜日

今朝は丸1週間ぶりの配達である。

昨日、自転車で通常の散歩距離の倍走ると、下腹部がピリピリしたので、今朝の配達は慎重に行うことにする。

バイク下りてからターゲットまで歩くのも、小走りを止め、階段の2段上がりもやめたので、前半地区で5分、アパートのある後半地区で10分程度通常より時間が掛かった。

一方、配達休んでいた間不作だった思索は、好調に戻った。「クラウド」導入か「ネットワーク」構築かで、判断がつきかねていたが、両方実施し、各々の長所を生かすという至極当たり前の結論に達した。

まこと、毎日決まった、する事があるのは、本当に有難いことだ。

2014年6月5日木曜日

急性胃腸炎の総括

5月31日、救急車で搬入された病院を、翌6月1日昼前、自主退院し、当日は、日曜日のため、自宅で静養。

6月2日、かかりつけの内科医受診。白血球の増加により、腸の炎症が確認され、3日間の投薬(2種)と「おかゆ」摂食を指示される。

3日後の本日、同じ医院受診。発症から丁度7日目である。
順調な回復を確認されるが、更に2日の追加投薬をされる。
  
特記すべきは、夕食にビール1,2杯が認められたことである。

ウィキペディアによれば、急性胃腸炎については、絶食によって腸管を休ませるのが、最大の治療であり、風邪と同じく特効薬はない。

ウィルス感染が圧倒的に多いので、病原体ごとの特異な薬剤は存在せず、又使用する必要もない。脱水さえ回避できれば、症状は自然に軽快する。

私のケースも、最初の発症時の症状(痛み、嘔吐、下痢)は、激烈だったが、その後は、上の引用通りに終始した。

2014年6月4日水曜日

今回の急性胃腸炎の最中の、2種類の悪夢

先ず第一に、最近は大腸炎という名称は使わず、急性胃腸炎と呼ぶらしいので、今後そのように変える。

5月30日真夜中に発生したこの胃腸炎は、本日6日目に小康を得た。その間、2レベルの金縛り・悪夢が起きた。

最悪期のものは、30日夜から31日にかけてのものである。

シチュエーションは、極度に限定されており、マージャン卓用のものの上に、iPadのアプリケーションと思しき四角いプレートを、左から順に並べて行くものである。時々、そのプレート上に書いてある名前を判読しようとするが果たせず。一列並べ終えると、それは左へ姿を消し、ついで右から空の列が現れ、あらたにアプリを、並べて行く(インストールする)作業が続くわけである。

文字通り、際限のない単調な夢であり、奇怪なことに、便意により目覚めて、トイレへ行き戻ってからも、眠るとこの夢が再開する。

全てが、無我夢中の中での出来事と感じられた。

入院2晩目には、この悪夢の記憶はなく、前夜の睡眠不足を、カラダが解消したのだろう。

2番目は、小康に入った6日目の朝、今日の朝方である。

ベッドで、目覚めているが目を閉じていると、意思と無関係に無音の動画が展開していく。右から左の方に動いているようである。目を開けると、何時もの天井と壁である。目を閉じると同じ動画様が動き出す。支離滅裂な動きでなく、恰も何らかの意思・指示に従っているかのような動きである。動画の内容は認識できず。通常言われる「金縛り」と異なり、カラダを自分の意思通り完全に動かすことができた。

あたかも、脳の中で、別のCPUが活動しているかの様であった。

これらふたつの悪夢・金縛りについての、解釈・判断は全くできない。

2014年6月3日火曜日

大腸炎の疑いで救急車で入院

5月30日真夜中少し前、激烈な腹痛で目が覚めトイレへ転がり込んだ。激しい下痢と嘔吐が続き、家族の助けを呼ぶ。

脱力感も強く、しばらくトイレでへたり込んだ状態となる。

20~30分ほど、落ち着くのを待ったがその気配がないので、救急車を呼ぶのに同意する。救急車で、人の搬送に付き添ったことはあるが、自分が主役となるのは初めてである。

搬送先病院のオプションにふたつあり、迷うことなく近い方を選ぶ。

到着してからの、当直医による、下腹部の触診のみの診断で、「腸炎であろう。」との事であった。

即入院(既に日は変わっており、5月31日)を宣告され、病室に落ち着き、多分通常輸液の点滴が始まる。因みに私には、入院も初めて。

下痢は激しく、1時間に2回ほどの頻度で、点滴ポールを押して、トイレに駆け込み、しばらくして下痢便に鮮血が混じるようになった。

5月31日、夜が明けてから、胸部X線撮影と、腹部のCTスキャンを取られる。

5月30日夜は、真夜中まで2時間半しか眠れず、その後は痛み、下痢のため、殆ど眠れてないので、トイレに起きる以外は終日うつらうつらと過ごす。ずっと、迫真感のある悪夢に悩まされる。

翌6月1日昼前、嫁さんが見舞いに訪れ、以前、隣家の息子の嫁さんが「胃痙攣」で、この病院に
3日間入院していたが、治らないので強引に退院したと話したので、私も、即退院を決めた。

その病院の医療レベルの低さと、患者からの情報のフィードバック不在、看護師間での作業手順の不統一、等にほとほと呆れ果てていたからである。

担当医師(実は、近くの国立大学からの臨時応援医師)との激しいやり取りの末、ようやく退院を獲得した。