新聞配達人の時々日記: 12月 2013  

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2013年12月31日火曜日

心ここに在らざれば 視れども見えず、聴けども聞えず。「大学」

既に何度も書いて来た事であるが、新聞配達に於いては、「不配」、「誤入」、「飛ばし」などのミスについて、それ等が起きた原因、メカニズムなどの説明がつく場合が大多数である。

ごく少数のケースについては、「何故そんなことをしたのか?」、理解が及ばないことがある。

タイトルの、中国の古典「大学」の中の言葉は、五官の働きは、心が正しく働いて初めてその用をなすことを説いたものである。

即ち、上に挙げたミスは、心がその場にいなかった時の結果であると言えるだろう。

中国語で、「心不在焉」、日本語には、「心空なり」という形容動詞がある。順を逆にした「空なる心」を強調した表現として「うわの空なる心」としても使われた。のちに、「心」を除いて単独で「うわの空」ともいわれ、既に平安時代から使われていた(語源由来辞典)というから、日本語の、この表現も誠に古い。

2013年12月29日日曜日

守らねばならぬ期限が決まっているものは、早目早目にやる事

期限が定められているものごとを、ギリギリまで引き延ばすと、不測の、緊急事態が発生した時、対応を取る余裕がないことになる。

一方、期限よりあまりに早く完成する事は、最新の情報/状況が組み込まれないことになり、不十分な施策となる恐れがある。

ギリギリまででなく、又余り早すぎずというのには、兼ね合いが難しいが、不可欠である。

その辺りのころあいは、対象となる案件にもよるが、多くの経験から会得するほかないものと言えよう。

2013年12月27日金曜日

石の上にも3年 新聞配達も3年。

新聞配達について、担当地区については、最近とみに、一人前の域に近づいて来た気がする。

来年4月には丸3年の節目となる。そこで、「石の上にも3年」という諺が思い浮かぶようになって来た。

勿論、新聞購読者の出入りは常にあるので、それ等への留意は不可欠である。特に新規購読者への不配を起こさないように留意する必要は常にある。何度も書いたように、部数の余りは、不配を意味し、タブーである。

記憶が定着するまでは、複数の日数がどうしても要る。

ここで、どれほど完成のレベルに達しても、説明のつかないポカミスはどうしても起きるものである。

その件に関して、小学生の頃か、国鉄の駅で見て、記憶に残る光景がある。

駅を出ていく列車の最後尾のあたりで、駅長(又は助役)が、列車の前方に向かって直立不動で立ち、人差し指を上げ、声を発しているものである。

これは関係者に確認した訳でなく、私の想像だが、彼は列車の前方の信号が、青であるのを視認し、指で差し、声を出して再々確認していたのだろう。

数百人の命が関わる確認作業であるから、3重のチェックが必要なのだろうが、新聞の不配は、それほどの問題ではない。

従って、間違いが起きやすいアパートでの不配防止のためには、投入時、部屋番号を再チェックするのみである。即ち、目視による、記憶の確認である。実は、このチェックで、運良く、誤入を発見したことが再三ある。

2013年12月26日木曜日

長らく忘れていて、口に出したり、頭に浮かぶことがなかった言葉、「闘志」

これまた半世紀近く前、私は、大学1年生で運動部で活動していた。そこは、東と西に外語があるうちの西の方の大学であった。二つの学校では、毎年スポーツ対抗戦を、交互に、夫々の本拠地で行っていた。

その年は、大阪方が、東京遠征をする年であり、私もレギュラーとして、彼の地で試合出場の予定であった。

東京遠征の前の或る晩、その運動部だけの壮行会があり、選手、監督、そしてビックリするくらい大勢の先輩達が、集まり、必勝を誓い合った。

その場で、何度も斉唱されたのが、村田英雄の「王将」である。

「明日は東京へ出ていくからは、何が何でも勝たねばならぬ。空に灯が付く通天閣におれの闘志がまた燃える。」

「闘志」という言葉を聞くたびに、歌われた「王将」と、そのときの光景が、今でも蘇ってくるのである。

2013年12月23日月曜日

シロ とうとう出産したのか、本日も、姿を見せず

臨月間近と思われたシロがここ数日姿を見せず。子が生まれたので、授乳に忙しく、顔を見せないのだろう。

いったいどうして、シロは、一番初めに、私に近づいて来たのか不思議に思えるようになった。シロは、私を知っていたのではないのか? もう亡くなっている誰かの生まれかわりではないのかという、途方もない考えが、私の上に浮かび上がってきた。

数年前、「輪廻転生」という考え方についての複数の本を読んだことを思い出した。

そして、この言葉「生まれ変わり」で、検索すると、インド映画 「マッキー」が最初のページに表われて来た。これは私にとって、全くの偶然である。

この映画は、ヒトが、ハエに生まれ変わって、恰も人であるように行動する映画である。最新技術、知識を駆使しており、現在上映されているらしいが、私は、観賞する気はない。

ここで述べておかねばならないことは、「ヒトの生まれかわり」の検索が先で、インド映画 「マッキー」が現れたのは、その検索の後である事である。

2013年12月21日土曜日

複数の荷物を持って、急ぎ出発せねばならぬ時、忘れ物をしないやり方

1.持って行く品物を置く場所を決め、通常カラにしておく。

2.出発前(前日)までに、持って行く品物を点検し、その場所に全部置いておく。

3.出発する時、その場所がカラになる様に、全て身に着ける。

上のやり方は、5年ほど前、地盤改良工事の下働きをしていた時習得したもの。そこは泊りがけでの現場で、民宿に数人で泊まり込んでいた。

作業の仲間は、全て30過ぎの若い人であり、朝飯の後、皆一緒に、車で現場へ出かける。ところが、私は何時も、彼等に10歩以上遅れることになった。

そこで、彼らを注視していると、既に纏めてある、携帯すべき備品、装具を、流れるような動きで身に着けるが早いか、もう先に歩を進めている。

この現場には2週間ほど居続けたが、とうとう最後まで、彼らと肩を並べて車へ歩く様にはなれなかった、然し、以前よりは、ずっと手早く身支度が出来るようになったのは収穫である。

2013年12月19日木曜日

ウェブには星の数を越す情報があるが、文字通り、玉石混淆である。

私が述べたいことは、その数の事でなく、うしろの「玉石混淆」のほうである。

単なる国語辞典、IT情報辞典の代わりに引くのでなく、正確さ、新鮮さ、検索者の要求への充足度などの点で、ウェブで求める情報を探し出すためには、何度もやって、検索に慣れ、上手にならなければならぬと、近頃ようやく気付いた。

検索する事項について知らないので探している訳だから、ヒットした情報が正しいか、最新なのか、自分のレベルにあったものなのかの判断は容易ではない。

最近の失敗例:xp機と7機でネットワークを構築しようとして、ウェブで信用置けそうな情報を探して来ては、実行して、構築できず。トータルで2週間以上空費した。

勿論上手く行き、長年の不便さを、一気に解決できたこともある。

つまるところ、平凡なようだが、ウェブでの検索も、「習うより慣れろ」に尽きるようだ。

2013年12月17日火曜日

村上春樹の、アイディアの抽斗(ひきだし)

彼のエッセイをパラパラめくっていた時、「将来、本を書く時のネタになるアイディアを、抽斗にしまっておく。」という表現を見つけた。

今年8月初旬から、ブログの毎日投稿を実行する事を決めた後、投稿のネタとなるアイディアをストックして置かねば、ネタ切れを起こす可能性がある事に気付いた。

私の場合、パソコンのデスクトップに、フォルダを作り、複数のテーマの手持ちがある時には、順次ストックする様にしている。

流石は、当代一の人気作家である!アイディアを「抽斗」に仕舞うとは味のある表現で、大いに感服した。

やる事は変わらないが、彼我の表現の違いには、天地の差がある。

2013年12月15日日曜日

けったくそ悪い

今朝、最悪の夢見で目覚めて、この言葉が飛び出して来た。久しぶりに出て来た言葉である。

先ず、「大辞泉」を引いてみた。(けった)は、「卦体(けたい)」がなまったものであろう。けたいは、易の算木に表われた卦の形。占いの結果。転じて、縁起。

  卦体糞(けたいくそ): いまいましいこと。けったくそ。けたくそ。
  卦体が悪い : 縁起が悪い。いまいましい。腹立たしい。

この言葉は、中学一年途中まで育った筑豊の方言と思い、上の説明から、自明の通り、意味の重複があるなと思った。

ところが、ここで終わらず、ウェブ検索を考えたのは、たくまざるひらめきであろう。

実は、これは、パリパリの大阪弁である。「けったくそ」は、「けった」に「くそ」を付けて強調しているだけ。「けったくそ悪い」に、意味の重複はない。

ウェブで指摘されてみると、この言葉は、彼の地で知った多くの大阪弁と一緒に、取得したものであろう。

2013年12月13日金曜日

焼きが回る。

近頃、この言葉を心の中でつぶやいたり、実際に口に出したりすることが多くなった気がする。

もちろん、私自身が、その言葉のターゲットになっている事も、同じくらいあるだろうと想像する。

数年前、ある人物の発言を例に挙げ、私がタイトルの言葉で、彼を表現したところ、その時の相手から、すぐに、彼について否定的なコメントが返って来た。即ち、「もともと切れた人ではない。」と。

彼と私の、人物評価の違いを、端的にあらわした場面であった。

ところで、「焼きが回る」を字面だけ見ると、なんだか「焼き」が悪いもののように感じられるので、例によってググって見た。今回は、「語源由来辞典」である。

<焼き入れの過程で、火が回り過ぎる。> 

従って、回って悪いのは「火」であり、「焼き」ではない。

「火が回る」では何のことか分からぬので、昔の人は途中を省略して、「焼きが回る」としたのであろう。

ヒトについては、歳をとって、以前の切れがなくなる事を、表題の様に表現するが、刃物については、再度「焼き入れ」をする筈はないので、ヒトのように、年を経て「焼きが回る」ことは起き得ない。

もちろん、鍛冶屋の失敗により、刃物制作の過程で、「火が回り過ぎる」ことはあっただろう。

2013年12月11日水曜日

アパート地区での防寒対策の効き過ぎ調整

12月に入ってから、耳が覆える毛糸の帽子と、同じく毛糸のネックウォーマーを防寒対策に参列させた。お蔭で、寒風を切ってバイクで走っても、冷たさを感ずる事がなくなった。

ところが、アパート地区に入ると、階段の上り下りで体温が急激に上がり、一転して、汗を感じるまでになる。

この地区の後は、丘陵地帯で、ターゲット間がお互い離れて居るので、走る距離が長くなり、再び、防寒は必須である。

そこで、階段昇りが始まると、先ず第一に、ジャンパーの下のチョッキの内側に入れているカイロを、ジャンパーのポケットへ移す。

次に、あごに付くまで上げていたジャンパーの前開きジッパーを下へ下ろし、寒風で体温を下げる。

最後の仕上げは、耳を覆っている毛糸をずらして、両方の耳を外気へ当て、簡易ラジエーターとする。

次の地区で、状況に応じて、個々の防寒装備の戦列復帰は簡単である。

2013年12月9日月曜日

百円ショップでの最高傑作!

時間が余った時などに、近くの百円ショップで、新しい商品を探すのがほとんど趣味といって良いほどになっている。

最近発見の最高傑作は、自転車のタイヤのパンク修理スプレーである。

チューブの穴を補修すると同時に、空気を入れる機能もあるスグレモノ!

2週間ほど前、パンクしていた自転車に、一度だけ注入して、それ以来ずっと乗っているので、効果は確認済み。

但し、チューブの穴が大きいものには、無効との注意書きがあるので要注意。

1年程前購入した時には、105円だった。最近探したら、パッケージが変わり、210円へ値上がりしていた。

2013年12月7日土曜日

新聞配達中で、一時 怖かった話

ターゲットは、引き継いだ時からの購読者で、2階建て簡易アパートの2階の突き当りの部屋の一つ手前である。

2階で入れるのは、そのひと部屋だけなので、そこの投入口に新聞を入れて直ぐ、きびすを返して、20歩ほど歩いて、階段を降りることになる。配達始めて間がない頃、新聞を投入後、私が階段に着く前に、うしろで新聞を取る音がした。

投入する時には、投入口のカバーを新聞で押して入れるので、中の部屋に電気がついて居れば、明かりが洩れるが、部屋は何時も真っ暗である。

即ち、明かりの点いていない玄関に、新聞差し入れ後直ぐに抜き取る人がいると言う事である。頻度は数えた訳ではないが、月に数回はあった気がする。

配達の始めの個所であるので、時間は、3時15分から30分の間である。丑三つは、普通、午前2時から2時半である。ところが、「大辞泉」によると、一説では、午前3時から3時半ともいうから、まさにその時間である。

そのことに気付いてからは、その部屋に新聞を入れるとき、鉄の扉の反対側に人がいるような気がして、穏やかならぬ気分になっていた時があった。

たまに起きるその現象に慣れてから、じっくり考えてみた。そして、階段までの時間15秒もあれば、玄関の近くの部屋で目が覚めている人が、新聞の押し込まれる音を聞いて、小用に起きるついでに新聞を抜き取ることは、十分可能と思い至った。

それ以降、その部屋の扉の前で、構えることはなくなった。

(現在は、その現象は起きなくなっている。)

2013年12月5日木曜日

モモ*にオオカミを祖先とするイヌの習性を見る (*3月に15歳で死んだ我が家のイヌ)

数年前、余りない事だが、モモを連れて嫁さんとある場所を目指していた時のこと。

私は何時もの、自転車での散歩道、野球場とテニス場の傍を通る道へと左折したが、嫁さんは、遠回りとなる散歩道に、ついて来ず、目的地へと直進を続けた。

嫁さんが我々から離れて、直進しているのに気付いたモモは、立ち止まって私の顔を先ず見上げ、ついで嫁さんが歩いて行っている方を見た。

「カアちゃんの後を追い掛けようよ。」という明確な意思表示である。

モモを含めての我が家庭内で、彼女にとって、私の順位が1番であるのは、普段の行動から、絶対間違いない。

トップの飼い主と一緒でありながら、順位2番(or 3番?)である嫁さんを追い掛けようというモモの真意は、直ぐには理解できなかった。次いで分かったのは、順番と関係なく、家族は一団となって行動すべきという、群れで行動するオオカミを祖先とするイヌの習性である。

時たま出かける近くのキリンビアファームで、私の定番オーダーは、豚のスペアリブである。当然の事、骨は包んでもらい、モモへの最高のお土産となる。

帰宅後小屋に直行し、臭いを嗅ぎつけたモモはお座りして待機し、その前で嫁さんが骨の包みを開く時、2,3本が一緒に転がり落ちた。深く考えずに、嫁さんは手を伸ばして、余分の骨を回収しようとした。途端に、モモは凄まじい唸り声をあげ、彼女の手に飛びつこうとし、直ちに、私により制止された。

私に対してそのような行動をとる事は、一度もなかっので、私も一瞬動転した。モモにとっては、地面に落ちたスペアリブの骨は、もう完全に彼女のものなので、ボス以外の者には手出しを許さなかったもの。

2013年12月3日火曜日

敵現れざるを頼む勿れ、備えあるを頼め。

もう2,3か月以上前になるだろうか、表題の言葉が意識の中に突然飛び出して来て、頭の中で居場所を確保してしまった。

私は、抜け目なく、投稿のテーマになるかと思い、フォルダ「日記テーマ」の中に入れたがその出番を作れず、もう暫くになる。

新聞配達人の場合なら、雨が降らぬのを祈るのでなく、カッパの用意をしておけというもの。

日本か中国の、戦国時代の武将が、発した言葉と推測されるが、誰かは思い出す事が出来ぬ。

ひょっとしたら、「孫子」が残した言葉かなとも想像し、ググったが、今回は何度やってもヒットせず!

ウェブで探して出て来ぬなら、中、高時代に読んだ本の中にあったと思われる、この言葉が現れた原典に出会う事は、今後ないだろう。

2013年12月1日日曜日

天気予報チェックの必要性を痛感

今朝の出発時、夜空に星は出ていなかったが、降りそうな気配はなかったので、ビニ包装はせぬまま、店を出発しようとしていた。

その時、配達を終えて帰ってきた一人の同僚が、店に入るなり「雨が降り出した!」と叫んだ。

それを聞いて、慌てて、既にカゴに載せていた新聞を下ろして、ビニ包装機にかけ、出発した。

ものの10分も走らぬうちに、パラパラこつぶが落ち始めた。危ない所であった。彼が帰ってくる前に出ていれば、降り出してから、店に戻って、ビニ包装をしなければならなかった所だった。1時間ほど前、彼はビニ包装をして出発したらしい。天気予報を見るか聞くかしていたのだろう。

私は、つい6日前に、激しい雨に掴まり、ずぶ濡れになったばかりである。

明日から、夜就寝前、このブログの天気予報を見て、翌朝3-6時の降水確率を、ホワイトボードに書いておくことにする。

今朝の配達から帰って、それを見たら、87-90%の降水確率だった。