新聞配達人の時々日記: コトバ  
   

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2015年2月10日火曜日

NHKの「決まりコトバ」

1.
 既に旧聞に属するが、 数か月前のNHKの特別番組で、「世界の寛斎」の連発で、ほとほと食傷させられた。番組自体は、珍しく見るに堪えるものであったが、番組を説明して居るアナウンサーが多用する言葉にへきへきされどうしだった。

「山本」という姓が、「世界の」に変わったかのようであった。

2.
 インタビュー番組で、NHKのインタビュワーが、必ず聞く質問に、
「どんな思いで~~?」があり、これを聞くたびに、なんと芸のない質
問だろう!と思う。

3.
 「~を誇る」という表現にも、これまた、ほとほとうんざりさせられている。

「誇る」というコトバは、元々主体・主語が、その前に来る事実・数字を誇る場合に使われると思うが、NHKは、第三者でありながら、主語に代わって、当該事実・数字・順位などを誇っている訳である。

2015年2月6日金曜日

きっちり vs 確実に

コトバにも流行り廃りがあるようで、現在は、何処かの首相が大好きな「きっちり」が大流行である。

今はやりの大和言葉というのか知らぬが、「きっちり」には曖昧さがあると感じるのは、わたしだけだろうか。

「確実に」「厳密に」等という漢語の方が、これ等のコトバを使う人の本気を現わしているように思える。

一方、これを多用する側からすると、その曖昧さを狙ってているのかもしれぬが…。

2015年2月4日水曜日

小説は、「絵空ごつ(事)!」というのがおふくろの口癖だった。

又も、彼女の口癖のひとつであった「絵空事!」が、何かの拍子に脳裏に浮かび上がって来た。

記憶の中での発音は、漢字通りでなく、「エーソラゴーツ!」である。

そのコトバを聞いた時期についてであるが、「小説は絵空事!」という風に、明確に対象を限定している事は、小・中学生以下には馴染まぬので、テレビが登場してからのことで、高校生以降の時期、テレビドラマか何かを見てからの、彼女のコメントであると考えるのが自然であろう。

その影響を受けなかったせいか、小学生の頃は、通っていた小学校の図書館の、童話(小説に分類されるだろう)の棚の全てを借出して、読んで仕舞い、その後、読むべきものがなかった記憶が残っている。

成人してからは、恐ろしいことに、私はその言葉に未だ影響を受けているのか、小説類はあまり読まないのである。映画、テレビドラマについても同様である。

読書一般については、疑問の余地なく、平均よりも読書する方といえるだろう。

小説については、依然として、タイトルに掲げたコトバが、脳裏をよぎるからであろうか。

2015年1月23日金曜日

山下二世 vs 斎藤一世

2月20日、亡くなられた、柔道の斎藤仁さんについての新聞の一コラムでの内容に目が留まった。

自分がやった事のないスポーツは勿論、オリンピックなどにもあまり興味がないので、彼が現役時代「山下二世」とマスコミから呼ばれていたのは、全く知らなかった。

それによると、彼が現役を引退した時、「自分では斎藤一世だと思っていた」とあるので、それまで「山下二世」の呼称が付いて回っていたのだろう、

将来を期待される、伸び盛りのアスリートに、「~~二世」と、その時のトッププレイヤーになぞらえて、呼ぶのは有り得るだろう。

ところが、文字通り「ナンバー2」となってからでも、「ナンバー1二世」と呼び続けたというのは、私がレベルが低いと感ずる、この国のマスコミの疑いもない「怠慢」であろう。

2014年12月30日火曜日

「藪入りや犬も見送るかすむまで (小林一茶)」

昨日も、長い間見聞きしなかった、珍しいコトバを、地方紙のコラムで眼にした。上の俳句の「藪入り」である。

突然、興味を覚えて、そばにいた40歳代の男性に聞いた所、そのコトバは「知らない」という。

彼は知識豊富な方なので、俄かに不安を覚えて、そのコラムを再度読み直すと、なんと、「藪入り」とは江戸時代の風習であるとあったので、仰天した。

私が、会社に勤め始めた昭和40年代では、このコトバは、年末年始の休み及び盆の休みを指す言葉として、「定番」であった記憶がある。

ググって見ると、完全に私の感違いであった。

「藪入り」とは、江戸時代、商家に働いていた奉公人に、年2回、1月16日と7月16日に、休みを与えていた習慣の事であり、サラリーマンが通常とれる年末年始とお盆の休みとは、根本的に異なる。

当時のマスコミは、「藪入り」とは本質的に異なる後者の休みを、勝手になぞらえて、その様に呼び習わし、私が、それを、そのまま鵜呑みにして記憶したものである。赤面の至りである。

2014年12月4日木曜日

「日本語を、崩壊させている 協会が、NHK である!」というのが私の持論

テレビを見るのが、昼飯及び夕飯の時だけなってどれくらいになるのだろうか。

以前は、週に1、2回位放映される映画のうち、年に数本あるなしの、興味をそそられるものだけを見ていた。3年半前新聞配達を始めて、夜9時までに寝るようになったので、これを見ることもなくなった。従って、今は、めし時に、点けてあるテレビを見るだけになってしまった。

現在でもそうであるが、TVの 各種番組、ニュース・報道番組、ドラマなどで、使われている日本語の乱れについて、口汚く罵っている私であるので、めしの時以外それらを見なくなっても、嫁さんは不思議がることはない。むしろ、私の罵詈雑言を耳にしなくなって、歓迎していると思われる。

日本語の乱れについては、既に何度か、投稿もしている。

  http://yassu69.blogspot.jp/2014/05/blog-post_8.html

 http://yassu69.blogspot.jp/2013/10/blog-post_8.html

 http://yassu69.blogspot.jp/2013/09/vs_28.html


上に上げた以外にも、聞くたびに「又か!」とウンザリする定番表現/言い方がある。

 「~ならではの……」、「~に駆けつける」、「~を誇る」等々。

報道番組などで、「現地中継」と称してアナウンサー/レポーターが現地に飛んで、現地からの映像を放映する事がある。多くの場合、レポーターは現地の建物、景色を背景にして、自分の言葉で話すのでなく、カメラの傍にあると思われる原稿を読むだけである。読んでいる事は、独特の抑揚から直ぐ判別できる。その抑揚とは、小・中学生が、教科書を読む時のそれと全く同じである。

民放テレビは殆ど見ないので、上に述べた事はNHKで私が感じている事である。前者は後者よりさらにレベルが落ちると想像される。

タイトルの言葉となった所以である。

2014年11月30日日曜日

数昔前、「アイツは、能天気だから~~。」との評価を受けた

人づてに、私に対するその評価を聞いた時、「糞ッ垂れ!」とそいつを罵ったものだが、本人に、その事実の真偽を確認しなかった。

勿論、お互い若かったので、どれだけの洞察力をもっての言葉であるかはおおいに疑問であるが、いまだにその人づてのコメントが、記憶に残っている。

現在の年になって、このエピソードを思い出してみると、ある程度、そのコメントが当たっている様に感じられるように変わってきた。

数多くの、人を形容する言葉があるが、なかには、両面を持つものもある。

「能天気」については、ネガティブな意味としては、「何も考えていない」、「軽薄な」、「チャランポランな」、「極楽とんぼ」、「バカ」などがあろう。

ポジティブな意味としては、「楽天的」、「陽気な」、「ポジティブ思考をする」などがあろう。

本来、尊敬する相手に言うべきコトバではなく、相手を蔑むものだ。

自分自身について、それを言えば、謙遜していることになろう。

私についての評価で、上の様に、当たっている所もあるとなったのは、頷けるところがあると認めると同時に、私の度量が大きくなったと言うことか…。

2014年11月24日月曜日

銭湯の脱衣場で金品を盗む行為の呼び名が思い浮かばず。

肉離れの治療のため、数日温泉に通っているが、或るとき、そこの脱衣場で、財布、携帯、キーチェインなどをロッカーに入れながら、ずっと昔、その場所での盗み行為を呼ぶコトバが、あった事を思い出した。

ところが、その場でも、帰ってからも、しばらく、その職業名が出て来ず。

「銭湯の脱衣場」でググっても、それ以上の情報は出て来ず。

今回は、グーグル様のお蔭でなく、数日掛かって、自力で記憶を呼び覚ました。

私が思い出したのは「板の間荒らし」というが、今では、このコトバをご存じない人の方が多いだろう。

今度は、このコトバでググって見ると、5年以上前の、一時の著名人によるこの犯罪が、数件ヒットしていただけで、もうこの言葉自体が死語化している様に見える。

代わりに、「掲示板荒らし」など、ウェブ上での「荒らし」が圧倒的で、今昔の感に堪えない。

2014年11月10日月曜日

英字新聞の見出しが即座に理解できず !

久し振りに英語のテーマである。

もう10日ほど前のこと、何時もの様に、ターゲットの投函口までの道中で、配達する英字紙の見出しをスキャンしていた。と、即座に理解できぬ見出しで足が止まった。

"Strange bedfellows in Okinawa Governor race."

先ず、"bedfellow"という単語を知らなかったし、その類推できる意味と「沖縄県知事選挙」が、余りにもかけ離れているので、お手上げとなった。

帰宅してから、「一時的な仲間」という意味をウェブ辞書で見つけて、一気に納得がいった。

11月16日投票の沖縄知事選挙では、複数の党本部と県連との方針が異なるとか、複雑な様相を呈しているが、日頃の主義、主張が異なる複数政党が、同じ候補者を推薦しているという、ひとつの局面を表現したものであろう。

そして、その数日後の配達の途中で、「同床異夢」という似た様な意味の4字熟語を思い出した。

2014年10月27日月曜日

「体感距離」は、既に、市民権を得たコトバであった!

この言葉は、自分が考え出した造語であると考えていたが、もう何年も前からウェブでは使われていた。

http://yassu69.blogspot.jp/2014/10/blog-post_9.html

先日、投稿上のキーワードを検索して本ブログが、検索結果のどの辺りに表示されるか調べてみた。

何と、マイ造語と考えていた「体感距離」が、確認しただけで、5年前からウェブ上に現れていた。

考えてみれば、誰でも思いつくコトバで、「マイ造語」と言い立てる程のものでは全くなく、恥ずかしい次第である。

2014年10月21日火曜日

多生の縁? with シロ2

5ヶ月ほど前、外置きペットのシロ2について投稿したが、その記事で当然使うべきコトバが出て来ず、言及しないままであった。

今頃、そのコトバを思い出したので、遅まきながら、当該記事を再録する次第である。

yassu69.blogspot.jp/2014/05/blog-post_24.html

実は、つい最近まで私は、「多生の縁」を(多少の縁)と書くものと考えていた。「輪廻転生」等という概念、考え方を知る様になって始めて、「多生の縁」である事が分かった。「他生の縁」とも書けるとある。

ご本尊のシロ2は、半月程姿を現わさず、配達の最後で、「癒し」を受けられず、寂しい思いをしている。

子分のキジも、同じくらい姿を見せなかったが、今朝は、空地の向こう側でこちらを窺っているのを見つけ、かつお節の入った袋を振るとすぐそばに寄って来た。

シロ2と馴染みとなり、子持ちと考えたほどのメタボ振りの、前の写真をアップする。


2014年9月7日日曜日

「つこつこ」という言葉が突然、意識の中に浮かび上がって来た

これは、学校に上がる前、耳からでのみ聞いた言葉である。当時、自分で正月用の餅を搗かない家では、餅屋に頼むのが普通であったろう。

一方、「つこつこ」は、年の暮れに、餅が欲しい家を訪問し注文を受けて、その家で餅を搗いて納品する職業であろう。臼、杵は勿論、もち米を蒸す道具一切も持ち込んでの、注文主宅での請負仕事と思われる。その実物を見た記憶はない。

漢字で書けば、「搗こ搗こ」が正しいだろうと推測されるのみである。両親が、年の暮れに、餅屋に頼むか、「つこつこさん」に頼むかを、相談していたのを漏れ聞いたものである。

何故この言葉が突然意識に上って来たのかは、全くわからない。

当然の事、ググって見たが、ヒット皆無!既に死語となっているのか?
それとも、もともと方言であるので、ネットでは現れないのか。

上に述べた事は、記憶と想像を組み合わせているが、退院して自宅療養中の、3歳上の姉に聞いて、私の想像間違いが訂正され、更に補足情報が得られた。

「つこつこさん」には我が家も頼んでいたが、搗く場所は、離れて居たので私は見たことが無かった訳である。どうも移動しての餅つきでなく、場所は決まっていたが、1年に年末だけ、受けた注文の餅つきを行い、他の月は別の仕事をしていたものだろう。

1年中、「餅は餅屋である」が、年末だけ「つこつこさん」に正月用の餅を頼むところがあったのだろう。

機械の方が、人力よりも高かった時代の季節的職業であり、家庭に餅つき機を備えている所がある現在とは今昔の感がする。

2014年9月3日水曜日

気象庁の天気予報の中の定番表現「不安定な状態」

何時からか、この「不安定な状態」という表現に対し、つのってくる違和感を覚えて、ずっと注意していた。

その結果、雨が連続して降る状況でも、「不安定な状態」と解説していることに気付いた。専門家ではないが、日本語としては、明らかに間違った用法であるように思えていた。

「晴天」イコール「安定」という、気象庁内独特の公式から、
「雨」イコール「不安定な状態」が導き出されたのではないかと、個人的には思っていた。

念の為ググって見た。またも、Bingo! 直ぐ上の私の解釈は間違い!

本来、大気が不安定な状態から雨となるのだが、その大気という言葉を省略して解説するので、恰も雨が不安定であるとの印象を与える事になっている。

<一般向けの天気予報などではより分かりやすい「不安定な天気」または、単に「不安定」と言い換えることが多い。> (ウィキペディア)

皆様のお考えはどうでしょうか?

2014年8月28日木曜日

アップルiOSの音声アシスタント機能「Siri」実地テスト

yassu69.blogspot.jp/2014/07/what-time-is-it-now-ipadsiri-20-siri-i.html


iPadを操作中、「Siri」が目に入ったので、先月の投稿の中の「掘った芋いじるな」を発声して見た。スピーカーをオフにしていた所、

<<「おっぱいもいじるな」を理解できません。検索しますか?>>

という返事が画面に出て来た。

大失敗! iPad Siriの言語を「日本語」に選択していた。
「掘った芋」 を 「おっぱいも」 と 解析していたわけである。

英語にしてからの返事は、全く聞き取りが出来ていなかった。「Siri」の聞き取り能力は、個々のマシンの中の「Siri」によって異なるというウェブ上の情報もあったが、本当のことは分らず。

日本語「Siri」に戻って、ウェブ検索中に、持ち主との面白いやり取り(会話)をいくつも見つけた。

その中のひとつをご紹介。

<<ご用件は何でしょう>>

「愛しています」

<<他の携帯電話にも同じことを言っているんじゃないですか>>

時間がある人は、「Siri」でウェブ検索すると面白いやり取りがぞろぞろ出て来ます。

2014年8月24日日曜日

高校野球解説者の口癖 「試合の流れ」 が耳にさわる

今年の夏の甲子園もいよいよ終盤、準決勝となって来た。九州勢はただの一校も残らず、例年に比べまことに寂しい限りだ。

試合を見るのは、昼飯の間、小一時間だけだが、前から気になっていたタイトルにある、解説者が連発する「試合の流れ」が、耳触りとなっている。

サッカー、ラグビーと違い、毎回、攻守ところを変える野球では、「試合の流れ」を連発する解説者について行けぬのと感じるのは、私だけだろうか?

プロ野球には子供の時から興味がなく、見るのは甲子園野球だけという野球音痴とでもいわれるべき私の意見であるが、詳しい人の意見を聞いてみたいと思う。

2014年8月12日火曜日

昔聞いた言葉、「働かざる者、食うべからず」

この言葉は、学校に上がる前の頃だろうか、茶碗洗い、雑巾がけ、庭掃除などの家の手伝いを、させられた時、母親から言い聞かされたものと思うが、確信はない。一方、私は、当時飼っていた犬の散歩を含めて、その世話をすること等を「働く」とは毛頭思ったことはない。

所で、何時の頃からか、私の中での新聞配達のポジショニング(位置付け)は、「朝シャン(シャンプー)前のひと仕事」となっている。

年金生活となってから、5年近くフィジカルワークをやり、さらに数年経て、新聞配達を始めたが、今も含めてその間、子供の時に聞かされたタイトルの言葉を、しみじみと噛みしめている。

2014年7月23日水曜日

久し振りに、ブラジル人とスカイプでテレビ電話を楽しむ。

今月7月初め、スカイプの連絡先リストを何気なく眺めていたら、サンパウロで広告会社の社長をしている友達のステータスが「オンライン」であることに気付いた。

配達から帰ったばかりなので、午前6時、現地時間は前日18時、仕事は少々ダレて来た頃だろう。

緑色の本体に白のチェックマークが入った電話機が、
「オイデ!、オイデ!」と呼んでいるように見えたので、ついクリックした。ビンゴ! すぐ彼の懐かしい声と同時に映像がモニタに現れた。

4,5年ぶりのポルトガル語だが、先方の素早い、カンの良さのお蔭で、会話はスムーズに推移する。

マイブログにはまだ翻訳ガジェットを搭載していなかったが、話の成り行き上、このブログのURLを先方に口頭で伝え、広告会社のモニターに「新聞配達人の時々日記」が現れた模様。更に、先方のマシンには、翻訳機能が搭載されているので、その場で現地語への翻訳がされた。

偶然だが、その日の数日前、6月29日付で、ザックジャパンのW杯での敗退の投稿を出していて、その翻訳を読んだブラジル人から、口々に日本人の代表として、慰めの言葉を貰ったものだ。

彼らは、未だ準決勝の前だから、その鼻息は当たるべからざるものであった。

まことに楽しい40分間であった!

yassu69.blogspot.jp/2014_06_01_archive.html 

ひと昔以上前の写真が出て来たので、添付する。





2014年7月21日月曜日

「Se Deus quiser.」

今回は、新聞配達中でなく、自宅で夕食中にこの言葉が脳裏に浮かんだ。例によって、前置きはなく、突然にである。

直訳すると、ポルトガル語で、「もし神様が望むなら。」という意味であるが、誰もそんなつもりで話していず、「もしできたら~」とか 「多分~」といった積りで言っているはずである。

4半世紀以上前、サンパウロに、赴任して活動を開始した時、最初に戸惑ったのがこの言葉に対してである。

人にものを頼んだりした時、その返事として、よく聞いたものであるが、当然ながら、「神様は関係なく、オマエがやれば良いだけだろう。」と考えていた。

滞在日数が長くなるにつれ、決して無責任で言っている訳でないと分かって来て、この表現をそのまま受け入れる様になっていった。
たった一人で、全ブラジル人を相手に、議論しても無意味である。

別の時、「明日旅行に出かけるんだって?」と、相手に確認した時、「うん、明日マナオスへ行くことになった。Se Deus quiser.」と返事が返って来る事がある。

チケットも買っていて、行くことはは間違いないのだが、「Se Deus quiser.」を付け加えるのは、これから起きることについての、絶対確実性がないということを、言外に述べているものと、私は解釈していた。

考え様によっては、非常に哲学的考え方であると思った時もある。

2014年7月7日月曜日

<掘った芋いじるな>

10日ほど前、タイトルの言葉が、突然脳裏に浮かび上がってきた。何時ものように、何の脈絡、前置きなく、「単独に」である。

かの有名な、ジョン 万次郎が、英語が分からぬ日本人が、"What time is it now?" を、初めて聞いたときに、「掘った芋いじるな」と聞こえると言ったとされる言葉である。同時に、この日本語を、米国人に言えば、正しく理解されるとも書き残していた。といわれる。

不要と思うが、数少ない人の為に付け加えると、彼は、江戸時代末期に難破した漁師で、米国船に拾われ、彼の地でしばらく滞在し、英語を習得して明治時代に帰国し、通訳となった。

この言葉を、ググると、「iPad の Siri でテストすると、正しく理解され、正解が返って来た。」という投稿があった。

私は、本日、下の如く、在米20年以上の息子でテストした。

「太郎!掘った芋いじるな。」

答えは、失敗! 息子は、それまで日本語で話していた親父が、突然、米語で話すことを予想していなかった模様である。

私は知らなかったが、似た様なものに、下の言葉があり、人工頭脳 
Siri は、同じ様に正しく応答したとある。

    「兄 移住」= "I need you." 
    「湯のみ」= "You know me."

2014年5月8日木曜日

奇妙な表現!:「いつ東海地震/富士山爆発が起きても  おかしくない。」

何度見聞きしても、それに慣れる事が出来ず、違和感を覚える表現がある。

このブログでも何度か取り上げたが、タイトルの表現が、今の所、奇妙奇天烈と私が感じる表現リストの最後である。

新聞ではこの表現をあまり見かけぬように思えるが、テレビでは毎度のことで、ウェブでググると、これまた無数に現れる!

テレビを見るのは、昼飯時の半時間、夕飯時の1時間のみだが、「また出て来た!」と、腹が立つくらいの頻度で現れる。

十人十色といって、ヒトが考えることには、いろいろあって当然だが、タイトルの表現の様に、多くの人が、「おかしい」と感じなくて、沢山の人がこの表現を使うのは、間違った風潮であると感じる。

上の様に考えるのは、絶対少数意見だろうか?