新聞配達人の時々日記: 「Se Deus quiser.」  

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2014年7月21日月曜日

「Se Deus quiser.」

今回は、新聞配達中でなく、自宅で夕食中にこの言葉が脳裏に浮かんだ。例によって、前置きはなく、突然にである。

直訳すると、ポルトガル語で、「もし神様が望むなら。」という意味であるが、誰もそんなつもりで話していず、「もしできたら~」とか 「多分~」といった積りで言っているはずである。

4半世紀以上前、サンパウロに、赴任して活動を開始した時、最初に戸惑ったのがこの言葉に対してである。

人にものを頼んだりした時、その返事として、よく聞いたものであるが、当然ながら、「神様は関係なく、オマエがやれば良いだけだろう。」と考えていた。

滞在日数が長くなるにつれ、決して無責任で言っている訳でないと分かって来て、この表現をそのまま受け入れる様になっていった。
たった一人で、全ブラジル人を相手に、議論しても無意味である。

別の時、「明日旅行に出かけるんだって?」と、相手に確認した時、「うん、明日マナオスへ行くことになった。Se Deus quiser.」と返事が返って来る事がある。

チケットも買っていて、行くことはは間違いないのだが、「Se Deus quiser.」を付け加えるのは、これから起きることについての、絶対確実性がないということを、言外に述べているものと、私は解釈していた。

考え様によっては、非常に哲学的考え方であると思った時もある。

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