オーソドックスな意味は、「他人への情けは、巡り巡って、自分のためになる。」というものであろう。
何時の頃からか、新しい意味として、「情けは、結局、人、即ち、他人のためにはならぬ。」という解釈も広く言われるようになった気がする。
新聞配達の途中、このことわざと、上に述べた二つの解釈が、ひょいと頭に浮かんで来た。
ホワイトボードにメモ書きしていたこの諺を、時間があるときに、ググってみたら、興味ある事実が浮かび上がってきた。
ウィキペディアによると、1960年代後半、マスコミの報道では、若い世代の間では、後者の解釈が大勢を占めていたという。
同じ出典によると、それから40年後、2001年,文化庁による世論調査で、後者の解釈が、48.2%、前者のそれが、47.2%だったという。
後者の解釈、即ち、「情けが仇」は、誤用であることが、現在の定説であるので、誤用が優越したのは、60年代後半と2001年の2回だけで、特異な例であるかのように見える。
所が、最後の調査の内訳をみると、必ずしも上のようには解釈できない。
即ち、60歳以上では正解が65%以上であるが、50-59歳では、誤用が3%以上多くなり、それ以下では、誤用が60-65%と、60歳以上と逆転している。
従って、タイトルの諺に関しては、現在誤用とされている解釈が、何時かは分からぬ将来、正解となるのは間違いないだろう。
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