新聞配達人の時々日記: 「モモ」の月命日  

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2013年6月15日土曜日

「モモ」の月命日

タイトルを見てお分かりにならぬ方も居られるかも知れないが、その説明は、省略する。

本日は、愛犬「モモ」の3回目の月命日である。ついこの間が、四十九日(5月3日)だったが、あれからもう3か月も経ったことに驚かされる。

以前、私は、月命日なぞ気に留める事は無かった。所が、実際の所、一周忌までは、これを記憶して置くと、愛する者の死亡から、何ヶ月経ったかとすぐ分かる訳で、ある意味大変便利で、昔の人の知恵に感心する。

一周忌の後は、死亡からの時の経過を月単位でなく、年単位で数えるのが普通なので、月命日を意識する事は、一般には、余り無いと考えられる。ごく稀には、死亡から年を経ても、月命日がコメントされるケースもあるようである。

さて、「モモ」の四十九日の時には、コメントを書く余裕がなかったが、今日は少し書くことにする。

モモ死亡の2日後、3月17日、後肢が不自由になる前、「モモ」が駆け回った「市民の森」の展望台の下に、彼女の墓標として、ヤマモモの苗木を植樹する。

  「3/15 ヤマにモモを埋める。3/17 ヤマモモを植える。」

よその犬の挙げる悲鳴に、「はっ」としたり、硝子戸の向こうの土間で動くモノ(実は己の影)に、一瞬、「ギクリ」としたりは、最近良く起きる事である。

考える時間が豊富にある新聞配達の途中、「何故斯くも、その生きていた時の挙作が思い出されるのか?」を考えた所、その結論として出て来たのが、「モモは、物言わぬ生き物であった。」である。

本当の私の心情としては、「生き物」でなく 「生きし者」である。

今の所は、その寂しさを我慢しているが、それに耐えきれぬ様になると、代替物を求めようとするかは、不明である。

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