新聞配達人の時々日記: 新聞配達の3つの効用  

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2013年6月24日月曜日

新聞配達の3つの効用

朝刊配達を始めて、早や、2年と2か月余になる。

百戸余りのターゲットへ、1割程度の特別版を含み、合計100部余の朝刊を届ける仕事である。ルートを憶えるのは簡単で、アイテム と ターゲットの組み合わせを記憶できれば、基本的に単純な仕事である。

月の初めから、「新規入れ」と「契約切れストップ」が起きるが、それらを合わせても、トータルの5%前後で、大きな負担にはならない。

従って、1年位経つと、余裕が出て来て、スイスイと配って、なんだか 一時悪名が高かった「既得権益」をエンジョイしているような気分となるが、勿論、それは正確ではない。

斯様に余裕が出て来ると、配達しながら、色んなことを考える事になる。時間は2時間余りで、日によっては、ひとつだけでなく、ふたつ、みっつのものテーマをじっくり考える事になり、真に、思索の時間である。この間に考える事は、何故か、世俗的な事や、次元の低い事でなく、本質的な事、即ち、哲学的な事になる傾向がある。

折角、2時間かけて考えた事でも、記録しておかなければ、夢の中の出来事ほど逃足は速くないが、後で思い出してもあやふやとなる事が多いので、帰宅してすぐ、ホワイトボードへ走り書きをしておく。現在のストックは、10テーマ程あり、当日記の題材には当分困ることは無い。

もう一つの効用として、筋トレ効果がある。担当地区には、3,4階建てのアパートが、20棟近くあり、その大部分は、3階段であり、総室数は280室に達する。1,2階はたいしたことは無いが、3,4階へは結構な運動量となり、これを2段跳びで上がるようにしているので、私にとって理想的な筋トレとなって居る。

新聞配達では、他所と異なり、「余る」というのがタブーである。正確にターゲット数に等しい部数を持って出たなら、終了時、1部余りが出れば、何処かを飛ばしている事になるので、差し入れ時の記憶が無いか、それのあいまいな所を、頭の中で、探し出さねばならない。

勿論、違う所へ入れる間違いもあるが、これはごく少数で、殆どは、「飛ばし」であるというのが「経験則」である。

斯様に、「飛ばし」をしない様に集中をとぎらさず、「余り」が出た時には、記憶を絞り、それを探し出すというのは、明らかに、「ボケ防止」に役立つのは間違いない。

これが新聞配達の、3番目の効用である。

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